はんどるやが閉店し一週間程は何もする気が起きなかった。お金も無いのに、次に行こうとする気がわかない。というか、まだ駆け出しの名前も売れていない自分は、次の店をどう見つければいいのか検討もつかなかった。私の師匠の薩川シェフ ( この頃は両替町 ) や調理師会の重鎮アラスカの井出シェフに報告は完了したものの、次の行動が出なかった。気晴らしに自転車に乗って海岸へ行ってみた。のぼる梅の屋 ( この頃、おにぎり業界は、梅の屋、のぼる梅の屋、天神やが活躍しておりました ) で買ったおにぎりを食べ、磯の音や暖かい日差しを浴びていると気持ちが穏やかになって来る。「ブーン、ブルブルッ、ブオー」
あっ飛行機だ。大井川の飛行場の自衛隊の練習機です。ちょうどここの上空は練習空域なのです。赤と白のプロペラ機・・ひょっとして自分の担当だった機体かも・・不思議な気持ちです。8〜9年前はあいつを整備してたんだよな。演習の時には山口県からあいつに乗って北海道まで、色んな所に連れて行ってもらった。上空から見た静岡の海岸線は、起伏に富んで緑が濃く、綺麗で感動したのを覚えている。
みんなどうしているだろう。砂浜をみていると浜岡砂丘を思い出す。その途中にねむの木学園があり、自衛隊時代、後輩と何度か寄った事がある。そこに入所している子供たちの絵が飾ってあり生命力に満ち溢れているのに驚いた。それから宮城さんの本を読んでまた感動し、どんな子供も、大人になるまでの間に衣食住は平等に確保できないモンだろうか。人のために何が出来るだろう・・そんな思いが次第に大きくなり自衛隊を辞める1つの原因となった。そして、施設のコックさんになれれば!と思い修行を始め、負けん気か、向上心かわからないけれど、突っ走ってしまった。あのとき一緒にねむの木学園に行った後輩、伊藤君は二年後に辞め、障害者の授産施設へ就職し「がんばってますよ。」と手紙をくれたっけ・・・実際に現場に入ると、綺麗事ですまないことが一杯出てきます。でも彼らの笑顔に救われています。先輩は笑顔を一杯見れていいですね。食事の時の笑顔はどんな人も一緒ですから。いっぱい笑顔が貯まったら僕にも分けてくださいね。・・
そうだよ。伊藤ちゃんに怒られる。ヒデにも怒られる。こんな時に郷愁に耽っている身分ではないんだ。がむしゃらに行かなくちゃ。方法を考えている暇はない。知り合いに片っ端から面会し、周りに自分の存在を告知しなきゃ。この頃は求人広告がまだ少なく、正社員とかは静岡新聞の求人欄が一番とか言われていた時代です。ましてや派遣業者も少なく、建設、工場などの斡旋が主で、情報を収集するのが一苦労です。
就職活動してアパートに戻ると留守電ランプが点滅している。2件あり、両方とも大体誰か解るのだけど、直ぐ電話下さいと言われても、もう11時。清水に大きなプロジェクトの話し・・早く話しが聞きたいけど我慢ですね。今のように携帯がなく、やっとポケベルが普及し始めた頃です。世の中は平成という年号になっていました。「さあ、いい話だといいな」と願いつつビールを飲む私でした。 |