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物語 その25 「 いよいよ開店ベルジュ 35 その1 」

 あっという間に三ヶ月が過ぎ、やっと地獄の通勤から開放され清水に戻った時、そのビルは、ほぼ完成していた。

でかい! 三階建てにしては高さがある。

レストランビルとしてこの位の規模は余り見たことが無い。一階、和洋料理荒久路、二階、中華朝陽舘、三階イベントホール。
ビルの入り口の前には十数段の階段があり、来館者は必ずビルを見上げる形になる。そのまん前にビルの名称「Belje35」の看板が貼り付けてある。良く計算されている。

ベルジュとは俳優の石坂浩二さんが名付け親で、直訳すると「素敵な私」となり、この場所が北緯35度にある事が由来らしい。

その階段を上りエントランスホールに入ると右が一階入り口、左がエレベーターと非常階段。
一階入り口へは、さらに三段の段差を上る。入ってすぐ左がチェックカウンター、その前を左に行くとゆったりしたメインホールへ、入り口の真正面には3段の降り口とその後ろに6メーター位の直径の円形水槽、さらにその水槽は大中小と3段になり、それぞれが温度設定できる仕組みになっていた。
奥のメインホールの向こう側は前面ガラスで清水港ビュー、左に二十席ぐらいの3〜4段上がり船の操舵室風VIPルーム左にも客室風VIPルーム・・・全て大理石をメインに使っている。豪華な雰囲気です。和食十二名洋食三名の調理スタッフ、料理長は沼津で色々教えてくれた土屋さん(現在沼津港近くでおすし屋さん)です。

紆余曲折は省いて、さて開店当日。

洋食三名はステーキコーナーの仕事とスープとオードブル関係が主で、メインは和食だから大丈夫と高をくくっていたら大間違い。
昼の営業としてそれぞれ30人前用意という事でスタンバイ。
ところが一時間もしないうちにステーキカットも、オマール海老もなくなった。大きなチャコール(炭火)台でステーキを焼くのだが、開店から焼き台の下の火が、肉に隠れて見えないぐらいの忙しさ。

その左横にある、これも大きな鉄板でオマール海老を焼くのだが、これも入れ込む場所が無い。一方右横の一段下がった所には刺身コーナーがあって、同様に通路から客席が見える位置にあり、鮑、毛蟹、タラバガニ、ホッキ貝など、注文で水槽から取り出して、さばく品物も多くこちらもパニック。
アイドルタイムがない営業スタイルなのでプレッシャーは相当です。水槽から取り出す和食の若い衆も大活躍。ちょうど水槽の近くに鳴海〔現、小樽、菊寿司継いでいれば若旦那〕が居た。彼は和食の若い衆で最初に仲良くなれた奴だった。「オマールも頼むよ。」声を掛けてステーキコーナーに戻ると、「キャー!」 水槽の周りのテーブルからお客さんの悲鳴に笑い声・・・

見ると鳴海が大の字に水槽に落ちていた!

後で聞いたのだが彼は泳げないらしい。「みんな俺の心配よりアワビとか毛蟹とか潰されないか心配してた。ショックっすよー」と言っていたが、確かに、

時の彼の給料より、それらの方が高かったからしょうがないよ・・鳴海君!

でも、あの時、ピーンと張り詰めた、殺気だった空気を和ませてくれた功績は大きい。彼のおかげで、気分転換出来て何とか初日が終了。でもこの分だと、明日、早出でオマール海老30本、ステーキ50枚は仕込まないと・・・鳴海君、風邪引くなよ!

 
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